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2017年6月のブログ記事

  • (一) イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由

    復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏さ... 続きをみる

  • 第一節 サタン屈伏の典型的路程

    イサクの家庭を中心とする復帰摂理において、「実体基台」を立てる中心人物であったヤコブが、アベルの立場を確立して、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるために、サタンを屈伏してきた全路程は、ヤコブによるその象徴路程を、形象的に歩まなければならないモーセ路程と、それを実体的に歩まなければならないイエス... 続きをみる

  • 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理

    アモス書三章7節に、「主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と記録されているみ言のように、聖書には、神の救いの摂理に関する数多くの秘密が隠されているのである。しかし、人間は神の摂理に対する原理を知らなかったので、聖書を見ても、その隠れた意味を悟ることが... 続きをみる

  • (四) アダムの家庭が見せてくれた教訓

    アダムの家庭を中心とする復帰摂理の失敗は、結果的に見て、まず第一に、み旨成就に対する神の予定と人間の責任分担に対して、神がどのような態度をとられるかを見せてくれた。元来、み旨成就に対する神の予定は、必ず、神の責任分担と人間の責任分担とが合わさり一つになって初めて完成できるようになっている。それゆえ... 続きをみる

  • (三) アダムの家庭におけるメシヤのための基台とその喪失

    「メシヤのための基台」は、「信仰基台」を蕩減復帰した基台の上で、「実体基台」を立てることによってつくられる。そして、献祭という観点から見れば、「信仰基台」は、「象徴献祭」を神のみ意にかなうようにささげることによって復帰され、「実体基台」は「実体献祭」を神のみ意にかなうようにささげることによってつく... 続きをみる

  • (二) 実 体 基 台

    アダムの家庭において「実体基台」がつくられるためには、カインが「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることにより、神がその献祭を喜んで受け得るような条件を立てるべきだったのである。では、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」は、どのようにして立てるべきであったろうか。人間始祖は、天使長によって堕落し、それか... 続きをみる

  • (一) 信 仰 基 台

    第一に、「信仰基台」を復帰するためには、それを蕩減復帰するための何らかの条件物がなければならない。もともと、アダムは「信仰基台」を立てるための条件として下さった神のみ言を、その不信仰のために失ってしまったのである。それゆえ、もはやみ言を神から直接受けることができない立場にまで(価値を失い)堕落して... 続きをみる

  • 第一章 復帰基台摂理時代

    第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理 堕落はたとえ人間自身の過ちから起きたものであるとしても、神がその堕落人間を救わなければならない理由については、既に前編第三章第二節(一)で論じた。ゆえに、「メシヤのための基台」を立てて、堕落人間を復帰なさろうとする摂理は、既にアダムの家庭から始まっていたの... 続きをみる

  • (三) 復帰摂理歴史と「私」

    「私」という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない「私」なのである。それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、「私」自... 続きをみる

  • ⑥ 摂理的同時性から見た時代区分

    (イ) アダムからアブラハムまでの二〇〇〇年期間は、「メシヤのための基台」を復帰する蕩減条件を、象徴的に立ててきた時代であったので、この時代を「象徴的同時性の時代」という。 (ロ) アブラハムからイエスまでの二〇〇〇年期間は、「メシヤのための基台」を復帰する蕩減条件を、形象的に立ててきた時代であっ... 続きをみる

  • ⑤ 責任分担から見た時代区分

    (イ) アダムからアブラハムまでの二〇〇〇年期間は、次の旧約時代に、神の責任分担による摂理をなさるための基台を造成した時代であったので、この時代を「責任分担基台摂理時代」という。 (ロ) アブラハムからイエスまでの二〇〇〇年期間は、神が人間を創造された原理的な責任を負われて、自らサタンを屈伏する第... 続きをみる

  • ④ メシヤのための基台の範囲から見た時代区分

    (イ) アダムからアブラハムまでの二〇〇〇年期間は、献祭によってアブラハムの家庭一つを立てることにより、「メシヤのための家庭的基台」を造成した時代であったので、この時代を「メシヤのための家庭的基台摂理時代」という。 (ロ) アブラハムからイエスまでの二〇〇〇年期間は、旧約のみ言によってイスラエル民... 続きをみる

  • ③ 信仰の期間を蕩減復帰する摂理から見た時代区分

    (イ) アダムからアブラハムまでの二〇〇〇年期間は、サタンに奪われたこの期間を、アブラハム一人を立てることによって、天のものとして蕩減復帰し得る、旧約時代のための基台をつくった時代であったので、この時代を「蕩減復帰基台摂理時代」という。 (ロ) アブラハムからイエスまでの二〇〇〇年期間は、アブラハ... 続きをみる

  • ② 復活摂理から見た時代区分

    (イ) アダムからアブラハムまでの二〇〇〇年期間は、人間が献祭によって、将来、復活摂理をなし得る旧約時代のための基台をつくる時代であったので、この時代を「復活基台摂理時代」という。 (ロ) アブラハムからイエスまでの二〇〇〇年期間は、復活摂理の時代的恩恵と旧約のみ言によって、人間が霊形体級まで復活... 続きをみる

  • (2) 復帰摂理路程の時代区分

    ① み言による摂理から見た時代区分 (イ) アダムからアブラハムまでの二〇〇〇年期間は、人間がまだ復帰摂理のための神のみ言を直接受け得るような蕩減条件を立てることができない時代であった。それゆえに、この時代は堕落人間が供え物による蕩減条件を立てることによってのみ、次の時代に、み言による摂理をなすこ... 続きをみる

  • (二) 復帰摂理路程

    (1) 復帰摂理路程の時代的段階 ここでは、アダム以後今日に至るまでの全歴史路程における、時代的段階について概観してみることにしよう。堕落人間をして、「メシヤのための基台」を立てるようにし、その基台の上でメシヤを迎えさせることにより、創造目的を完成しようとした神の摂理は、既にアダムの家庭から始めら... 続きをみる

  • ② 実体基台

    堕落人間が創造目的を完成するためには、「信仰基台」を復帰した基台の上で、過去に人間始祖が成就し得なかった「完成実体」を成就しなければならない。しかし、堕落人間は、どこまでもメシヤを通して原罪を取り除かなければ「完成実体」となることはできない。ところで堕落人間は、上述した「信仰基台」を蕩減復帰した基... 続きをみる

  •  ① 信仰基台

    アダムは神のみ言を信じないで堕落してしまったので、「信仰基台」をつくることができなかった。したがって、彼はみ言の「完成実体」となることができなかったので、創造目的を達成することができなかったのである。それゆえに、堕落人間が創造目的を成就し得る基準を復帰するためには、まず初めに、人間始祖が立てること... 続きをみる

  • (2) メシヤのための基台

    メシヤは人類の真の父母として来られなければならない。彼が人類の真の父母として来られなければならない理由は、堕落した父母から生まれた人類を重生させ、その原罪を贖ってくださらなければならないからである(前編第七章第四節(一)①)。したがって、堕落人間が創造本然の人間に復帰するためには、「メシヤのための... 続きをみる

  • (一)蕩減復帰原理

    (1) 蕩 減 復 帰 蕩減復帰原理に関する問題を論ずる前に、我々はまず、人間がその堕落によって、神とサタンとの間において、どのような立場におかれるようになったかということを知らなければならない。元来、人間始祖が堕落しないで完成し、神と心情において一体となることができたならば、彼らは神のみに対して... 続きをみる

  • 後編

     緒    論 復帰摂理とは、堕落した人間に創造目的を完成せしめるために、彼らを創造本然の人間に復帰していく神の摂理をいうのである。前編で既に論証したように、人間は長成期の完成級において堕落し、サタンの主管下におかれるようになってしまった。したがって、このような人間を復帰するためには、まず、サタン... 続きをみる

  • (二) 三位一体論

    創造原理によれば、正分合作用により、三対象目的を達成した四位基台の基盤なくしては、神の創造目的は完成されないことになっている。したがって、その目的を達成するためには、イエスと聖霊も、神の二性性相から実体的に分立された対象として立って、お互いに授受作用をして合性一体化することにより、神を中心とする四... 続きをみる

  • ③ イエスと聖霊による霊的重生

    父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントⅠ一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そう... 続きをみる

  • ② ロゴスの二性性相から見たイエスと聖霊

    ロゴスという言葉はギリシャ語で、み言、あるいは理法という意味をもっている。ヨハネ福音書一章1節以下を見ると、ロゴスは神の対象で、神と授受をなすような関係の位置をとっているという意味のことが書かれている。ところで、ロゴスの主体である神が、二性性相としておられるので、その対象であるロゴスも、やはり二性... 続きをみる

  • (一) 重  生  論

    ① 重生の使命から見たイエスと聖霊  イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなけれ... 続きをみる

  • 第四節 重生論と三位一体論

    三位一体論は、今日に至るまで、神学界で一番解決し難い問題の中の一つとして論じられてきた。そして、だれもがよく分かっているようで、実際には、その根本的な意味を知らないままに過ぎてきた問題の中の一つが、すなわち本項で扱う重生論である。

  • 第三節 堕落人間とイエス

    堕落した人間は、創造目的を完成した人間としての価値を備えていないので、自分より低級に創造された天使を仰ぎ見る程度の卑しい立場に落ちてしまった。しかし、イエスは創造目的を完成した人間としての価値をみな備えておられるので、天使をはじめ、すべての被造世界を主管する資格をもっておられたのである(コリントⅠ... 続きをみる

  • (三) イエスは神御自身であられるのだろうか

    ピリポがイエスに、神を見せてくださいと言ったとき、イエスはピリポに、「わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか」(ヨハネ一四・9、10)と答えられた。また、聖書の他のところには、「世は彼... 続きをみる

  • (二) 創造目的の完成から見た人間とイエス

    我々は、既に本章第一節で、完成した人間の価値がどんなものであるかを説明した。そこで、我々は、ここにおいて、完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。これまで述べたことによって分かるように、完成した人間は、創造目的から見れば、神が完全であられるように完全になっ... 続きをみる

  • 第二節 創造目的を完成した人間とイエス

    (一) 生命の木復帰から見た完成したアダムとイエス 人類歴史は、エデンの園で失った生命の木を(創三・24)、歴史の終末の世界で復帰して(黙二二・14)、地上天国をつくろうとする復帰摂理の歴史である。我々は、エデンの園の生命の木と(創二・9)、終末の世界で復帰される生命の木とが(黙二二・14)、いか... 続きをみる

  • 第一節 創造目的を完成した人間の価値

    創造目的を完成した人間、すなわち、完成したアダムの価値を、我々は次のような観点から論じてみよう。  第一に、神と完成した人間との二性性相的な関係から述べてみることにしよう。創造原理によれば、人間は神の二性性相に似て心と体とに創造されている。そして、神と完成した人間との間にも、二性性相的な関係がある... 続きをみる

  • キリスト論

    第七章 キ リ ス ト 論 救いを望んでいる堕落人間においては解決すべき問題が多い。その中でも重要なものは、神を中心とするイエスと聖霊との関係、イエスと聖霊と堕落人間との関係、重生と三位一体など、キリスト論に関する諸問題である。しかし、今日に至るまで、だれもこの問題に関する明確な解答を得ることがで... 続きをみる

  • (二) 三位一体論

    創造原理によれば、正分合作用により、三対象目的を達成した四位基台の基盤なくしては、神の創造目的は完成されないことになっている。したがって、その目的を達成するためには、イエスと聖霊も、神の二性性相から実体的に分立された対象として立って、お互いに授受作用をして合性一体化することにより、神を中心とする四... 続きをみる

  • ③ イエスと聖霊による霊的重生

    父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントⅠ一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そう... 続きをみる

  • ② ロゴスの二性性相から見たイエスと聖霊

    ロゴスという言葉はギリシャ語で、み言、あるいは理法という意味をもっている。ヨハネ福音書一章1節以下を見ると、ロゴスは神の対象で、神と授受をなすような関係の位置をとっているという意味のことが書かれている。ところで、ロゴスの主体である神が、二性性相としておられるので、その対象であるロゴスも、やはり二性... 続きをみる

  • (一) 重  生  論

    ① 重生の使命から見たイエスと聖霊  イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなけれ... 続きをみる

  • 第四節 重生論と三位一体論

    三位一体論は、今日に至るまで、神学界で一番解決し難い問題の中の一つとして論じられてきた。そして、だれもがよく分かっているようで、実際には、その根本的な意味を知らないままに過ぎてきた問題の中の一つが、すなわち本項で扱う重生論である。

  • 第三節 堕落人間とイエス

    堕落した人間は、創造目的を完成した人間としての価値を備えていないので、自分より低級に創造された天使を仰ぎ見る程度の卑しい立場に落ちてしまった。しかし、イエスは創造目的を完成した人間としての価値をみな備えておられるので、天使をはじめ、すべての被造世界を主管する資格をもっておられたのである(コリントⅠ... 続きをみる

  • (三) イエスは神御自身であられるのだろうか

    ピリポがイエスに、神を見せてくださいと言ったとき、イエスはピリポに、「わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか」(ヨハネ一四・9、10)と答えられた。また、聖書の他のところには、「世は彼... 続きをみる

  • (二) 創造目的の完成から見た人間とイエス

    我々は、既に本章第一節で、完成した人間の価値がどんなものであるかを説明した。そこで、我々は、ここにおいて、完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。これまで述べたことによって分かるように、完成した人間は、創造目的から見れば、神が完全であられるように完全になっ... 続きをみる

  • 第二節 創造目的を完成した人間とイエス

    (一) 生命の木復帰から見た完成したアダムとイエス 人類歴史は、エデンの園で失った生命の木を(創三・24)、歴史の終末の世界で復帰して(黙二二・14)、地上天国をつくろうとする復帰摂理の歴史である。我々は、エデンの園の生命の木と(創二・9)、終末の世界で復帰される生命の木とが(黙二二・14)、いか... 続きをみる

  • 第一節 創造目的を完成した人間の価値

    創造目的を完成した人間、すなわち、完成したアダムの価値を、我々は次のような観点から論じてみよう。  第一に、神と完成した人間との二性性相的な関係から述べてみることにしよう。創造原理によれば、人間は神の二性性相に似て心と体とに創造されている。そして、神と完成した人間との間にも、二性性相的な関係がある... 続きをみる

  • キリスト論

    第七章 キ リ ス ト 論 救いを望んでいる堕落人間においては解決すべき問題が多い。その中でも重要なものは、神を中心とするイエスと聖霊との関係、イエスと聖霊と堕落人間との関係、重生と三位一体など、キリスト論に関する諸問題である。しかし、今日に至るまで、だれもこの問題に関する明確な解答を得ることがで... 続きをみる

  • 第四節 予定説の根拠となる聖句の解明

    我々は、神の予定に関するいろいろの問題について解明した。しかし、次に解くべき問題は、本章の序言において挙げた聖句のように、すべてが、神の絶対的な予定だけでなされるように記録されている聖句を、いかに解明すべきかということなのである。  まず、ロマ書八章29節から30節に記録されているように、「神はあ... 続きをみる

  • 第三節 人間に対する予定

    アダムとエバが、善悪を知る果を取って食べるなと言われた神のみ言を守り、自分たちの責任分担を果たしたならば、善の人間始祖となることができたのであった。したがって、神はアダムとエバが人間始祖となることを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。ゆえに、堕落した人間も、それ自身の責任分担を果... 続きをみる

  • 第二節 み旨成就に対する予定

    創造原理によって、既に明らかにしたように、神の創造目的は、人間がその責任分担を完遂することによってのみ完成できるようになっている。したがって、この目的を再び成就させようとする復帰摂理のみ旨は、絶対的なものなので、人間は関与できないが、そのみ旨の成就に当たっては、あくまでも、人間の責任分担が加担され... 続きをみる

  • 第一節 み旨に対する予定

    神のみ旨に対する予定を論ずるために、我々は、「み旨」とは何であるかということについて、先に調べてみよう。神は人間の堕落によって、創造目的を完成することができなかった。したがって、堕落した人間たちに対して摂理される神のみ旨は、あくまでも、この創造目的を復帰することにある。言い換えれば、この「み旨」は... 続きをみる

  • 予定論

    第六章 予 定 論 古今を通じて、予定説に対する神学的論争は、信徒たちの信仰生活の実践において、少なからぬ混乱を引き起こしてきたことは事実である。それでは、どうしてこのような結果をもたらしたのかということを、我々は知らなければならない。 聖書には、人生の栄枯盛衰や、幸不幸はもちろん、堕落人間の救い... 続きをみる

  • (三) 再臨復活による非宗教人の統一

    いかなる宗教も信じないで、ただ、良心的に生活して他界した霊人たちも、再臨復活の恵沢を受けるために、各々彼らに許されている時機に、みな地上に再臨するのである。そして、彼らも良心的な地上人をして、再臨主を信じ侍って、そのみ旨を完成するように協助するようになるのである。マタイ福音書二章2節以下の記録によ... 続きをみる

  • (二) 再臨復活による他のすべての宗教の統一

    既に、終末論で論じたように、今まで同一の目的を指向してきたすべての宗教が、一つのキリスト教文化圏へ次第に吸収されつつある歴史的事実を、我々は否定することができない。それゆえに、キリスト教はキリスト教だけのための宗教ではなく、過去歴史上に現れたすべての宗教の目的までも、共に成就しなければならない最終... 続きをみる