worldpeacehopeのブログ

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(五) 文芸復興に伴う宗教、政治および産業革命

カイン型であるヘレニズムの反中世的復古運動は、人本主義(Humanism)を生み、文芸復興(Renaissance)を引き起こした。これが、更にサタンの側に発展して、第二の文芸復興思潮といえる啓蒙思想を起こすようになった。この啓蒙思想が一層サタンの側に成熟して、第三の文芸復興思潮といえる唯物史観を生み、共産主義思想を成熟させたのである。 このように、サタンの側で天の摂理を先に成し遂げていくに従っ…

(四) 列国の強化と植民地の分割

文芸復興以後、カイン、アベルの二つの型に分かれて成熟してきた人生観は、各々二つの型の政治革命を起こし、二つの型の民主主義を樹立した。この二つの型の民主主義は、みなイギリスの産業革命の影響を受けながら急速度に強化され、民主と共産二つの系列の世界を形成していくようになった。 すなわち、産業革命に引き続き、飛躍的な科学の発達につれて起こった工業の発達は、生産過剰の経済社会を招来した。そして、過剰な生産…

(三) 産業革命の意義

 神の創造理想は、単に罪のない社会をつくることだけで成し遂げられるのではない。人間は、万物を主管せよと言われた神の祝福のみ言どおり(創一・28)、被造世界に秘められている原理を探求し、科学を発達させて、幸福な社会環境をつくっていかなければならないのである。既に前編で論じたように、堕落人間の霊肉両面の無知に対する克服は、宗教と科学が各々担当して理想社会を復帰してきたので、歴史の終末には、霊的な無知…

(二) 三権分立の原理的意義

三権分立思想は、絶対主義の政治体制によって、国家の権力が特定の個人や機関に集中するのを分散させるために、啓蒙思想派の重鎮であったモンテスキュー(Montesquieu 1689〜1755)によって提唱されたが、これはフランス革命のとき「人権宣言」の宣布によって実現された。しかし元来、この三権分立は、天の側で成し遂げようとした理想社会の構造であって、復帰摂理の全路程がそうであるように、これもまたサ…

(2) アベル型の民主主義

イギリスやアメリカで実現された民主主義は、フランス大革命によって実現された民主主義とはその発端から異なっている。後者はカイン型人生観の所産である無神論および唯物論の主唱者たちが、絶対主義社会を打破することによって実現したカイン型の民主主義である。これに対して前者は、アベル型人生観の結実体である熱狂的なキリスト教信徒たちが信教の自由を求めるために絶対主義と戦い、勝利して実現したアベル型の民主主義で…

(1) カイン型の民主主義

カイン型の民主主義は、フランス革命によって形成された。したがって、この問題を論ずるためには、まずフランス革命について論じなければならない。当時フランスは、カイン型の人生観の影響によって、無神論と唯物論の道へと流れこんだ啓蒙思想が、怒濤のように押し寄せた時代であった。したがって、このような啓蒙思想に染まっていた市民階級は、絶対主義に対する矛盾を自覚するようになり、それに従って、絶対主義社会内にまだ…

(一) 民 主 主 義

歴史発展の観点から見た民主主義に関しては既に前章で論述した。しかし、それはどこまでも民主主義が出てくるまでの外的な経緯であった。我々はこのような歴史の発展の中で、いかなる思想の流れに乗って今日の民主主義が出てくるようになったのか、その内的な経緯を調べてみることにしよう。 既に後編第四章第七節(二)で論じたように、キリスト王国時代において、法王を中心とした霊的な王国と、国王を中心とした実体の王国と…

第三節 政治、経済および思想の成熟期(1789〜1918)

前の時期において、宗教および思想の闘争はカイン、アベル二つの型の人生観を樹立してきたが、この時期に至ると、この二つの人生観はそれぞれの方向に従って成熟するようになった。そして、それらの思想の成熟につれて、カイン、アベルの二つの世界が形成されていったのである。社会の構造もこの二つの人生観に立脚した社会形態へと整理されて、政治、経済、思想も理想社会へと転換され得る前段階にまで進展した。フランス革命と…

(二) アベル型の人生観

我々は、中世社会から近代社会への歴史の流れを見るとき、それが神や宗教から人間を分離、あるいは独立させる過程であるとのみ考えがちである。これは、どこまでも中世社会人の本性の外的な追求によって起こったカイン型の人生観にのみ立脚して見たからである。しかし、中世の人々の本性的な追求は、このような外的なものにばかりとどまったのではなく、より深く内的なものをも追求するようになったのである。彼らの本性の内的な…

(一) カイン型の人生観

人間本性の外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こして人本主義を生みだした。そして、この人本主義を基盤にして起こった反中世的な文芸復興運動は、神への帰依と宗教的な献身を軽んじ、すべてのことを自然と人間本位のものに代置させたのである。すなわち、神に偏りすぎて自然や人間の肉身を軽視し、それらを罪悪視するまでに至った中世的な人生観から、理性と経験による合理的な批判と実証的な分析を通じて人間と自然を認識…

第二節 宗教および思想の闘争期(1648〜1789)

この期間は、西暦一六四八年ウェストファリア条約によって新教運動が成功して以後、一七八九年フランス革命が起こるまでの一四〇年期間をいう。文芸復興と宗教改革によって人間本性の内外両面の欲望を追求する道を開拓するようになった近世の人々は、信教と思想の自由から起こる神学および教理の分裂と、哲学の戦いを免れることができなくなっていた。 ところで、今まで後編で述べてきたように、復帰摂理は、長い歴史の期間を通…

(二) 宗 教 改 革(Reformation)

中世社会における法王を中心とする復帰摂理は、法王と僧侶の世俗的な堕落によって成就することができなかった。そして上述のように、中世の人々が人本主義を唱えるにつれて、人々は人間の自由を束縛する形式的な宗教儀式と規範とに反抗し、人間の自主性を蹂躙する封建階級制度と法王権に対抗するようになったのである。さらにまた、彼らは人間の理性と理知を無視して、何事でも法王に隷属させなければ解決できないと考える固陋な…

(一) 文 芸 復 興(Renaissance)

中世社会の人々の本性から生ずる外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こし、この運動によって文芸復興が勃興してきたことについては既に論述した。それでは、その本性の外的な追求は何であり、また、どのようにして人間がそれを追求するようになったかを調べてみることにしよう。 創造原理によれば、人間は、神も干渉できない人間自身の責任分担を、自由意志によって完遂することにより初めて完成されるように創造されたので…

第一節 宗教改革期(1517〜1648)

西暦一五一七年、ドイツでルターが宗教改革の旗を揚げたときから、一六四八年、ウェストファリア条約によって新旧両教徒間の闘争が終わるまでの一三〇年の期間を、宗教改革期と称する。この期間の性格は、中世封建社会の所産である文芸復興と、宗教改革とによって形作られる。神が中世社会を通して成し遂げようとされた摂理の目的を成就できなくなったとき、これを新しい摂理歴史の方向へ転換させて、「再臨のメシヤのための基台…

第五章 メシヤ再降臨準備時代

メシヤ再降臨準備時代とは、西暦一五一七年の宗教改革が始まったときから、一九一八年第一次世界大戦が終わるまでの四〇〇年間をいう。この時代の性格に関する大綱は、同時性から見たメシヤ降臨準備時代との対照において既に論述したが、ここで、もう少し詳細に調べてみることにしよう。復帰摂理から見て、更に、この期間は宗教改革期、宗教および思想の闘争期、政治と経済および思想の成熟期などの三期間に区分される。

第六節 メシヤ降臨準備時代とメシヤ再降臨準備時代

イスラエル民族は、バビロンの捕虜の立場から、エルサレムに戻ってのち、メシヤ降臨準備時代の四〇〇年を経て、イエスを迎えたのであった。ゆえに、これを蕩減復帰するためには、キリスト教信徒たちも、法王がアヴィニョン捕虜生活からローマに帰還してのち、メシヤ再降臨準備時代の四〇〇年を経て、初めて再臨なさるイエスを迎え得るようになっているのである。 四十日サタン分立期間をもって「信仰基台」を復帰するための摂理…

第五節 ユダヤ民族捕虜および帰還時代と法王捕虜および帰還時代

ユダヤ民族は不信仰に陥って、一向に悔い改めなかったので、神殿理想を復帰することができず、その結果、神は再びこの目的を成就されるために、ちょうど、アブラハムの献祭失敗を蕩減復帰するために、イスラエルをして、サタン世界であるエジプトに入らせ、そこで苦役をするようにされたと同様に、ユダヤ民族も、サタン世界であるバビロンに捕虜として連れていかれ、苦役をするように摂理されたのである。 これと同じく、既に論…

第四節 南北王朝分立時代と東西王朝分立時代

サウルによって始まった統一王国時代は、ダビデ王を経て、ソロモン王に至り、その際、彼が王妃たちの信じていた異邦人の神々に香を焚き犠牲をささげた結果(列王上一一・5〜9)、この三代をもって、カインの立場であった十部族を中心とする北朝イスラエルと、アベルの立場であった二部族を中心とする南朝ユダに、分立されてしまった。そして、南北王朝分立時代がくるようになったのである。これと同じように、チャールズ大帝に…

第三節 統一王国時代とキリスト王国時代

統一王国時代に入るに従って、士師が第一イスラエルを指導した時代は過ぎさり、神の命令を直接受ける預言者と、幕屋と神殿を信奉する祭司長と、そして、国民を統治する国王が鼎立して、復帰摂理の目的を中心とする、各自の指導的な使命を遂行しなければならなくなった。それゆえに、この時代を実体的な同時性をもって蕩減復帰するキリスト王国時代においても、教区長が第二イスラエルを指導してきた時代は過ぎさり、預言者に該当…

第二節 士師時代と教区長制キリスト教会時代

モーセの使命を継承したヨシュアが、イスラエルの選民を導いてカナンの地に入ったのち、オテニエル士師をはじめとした、十二士師のあとに引き続いて、サムソン、エリ、サムエルに至るまで、合わせて十五士師が、イスラエルを指導した四〇〇年間を、士師時代というのである。彼ら士師たちは、次の時代において分担された預言者と祭司長と国王の使命を、すべて兼任していたのであった。それゆえに、ユダヤ教の封建社会は、このとき…