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第一節 エジプト苦役時代とローマ帝国迫害時代

ノアからアブラハムまでの四〇〇年のサタン分立期間は、アブラハムの献祭の失敗によって、サタンの侵入を受けたので、この四〇〇年期間を再び蕩減復帰する役割を担ったエジプト苦役時代には、ヤコブとその十二子息を中心とした七十人家族がエジプトに入ってきて、それ以来、その子孫たちは四〇〇年間、エジプト人たちによって悲惨な虐待を受けたのであった。この時代を、実体的な同時性をもって蕩減復帰するローマ帝国迫害時代に…

第四章 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代

既に論じたように、復帰摂理の目的は、「メシヤのための基台」を復帰しようとするところにあるので、その摂理が延長されるに従って、その基台を復帰しようとする摂理も反復されていくのである。ところが「メシヤのための基台」を造成するためには、第一に、復帰摂理を担当したある中心人物が、ある期間内に、ある条件物を通じて、神のみ旨にかなう象徴献祭をすることによって、「信仰基台」を立てなければならないし、次には「堕…

(六) 縦からなる横的蕩減復帰摂理時代

上記で既に明らかにしたように、復帰摂理を担当した中心人物は、縦的な蕩減条件をみな横的に蕩減復帰しなければならないので、摂理歴史が延長されるにつれて、復帰摂理を担当する後代の人物が立てるべき横的な蕩減条件は、次第に加重されるのである。ところが、アダム家庭を中心とする復帰摂理においては、これは復帰摂理を最初に始めたときであったので、縦的な蕩減条件はいまだなかったのである。したがって、アダムの家庭を中…

(五) 代数を中心とする同時性の時代

神はアダムより十代、一六〇〇年目にノアを選ばれ、「信仰基台」を復帰するための中心人物を立たせられた。我々は、ここで、一六〇〇年と十代は、いかなる数を復帰する蕩減期間としての意義をもつかを調べてみることにしよう。 我々は前の項で、十数は帰一数であることと、成長期間はこの十数完成期間でもあるということを述べた。ゆえに、人間始祖はこの十数完成期間を、自分自身の責任分担遂行によって通過し、十数完成実体と…

(四) 信仰基台を復帰するための数理的な蕩減期間

我々は既に、後編緒論で、信仰を立てる中心人物が、「信仰基台」を復帰するには、彼のための数理的な蕩減期間を復帰しなければならないということを論述したが、今、この理由を調べてみることにしよう。神は数理的にも存在し給う方である。ゆえに、人間を中心とする被造世界は、無形の主体であられる神の二性性相の数理的な展開による実体対象である。被造物の平面的な原理を探求する科学の発達が、数理的な研究によってのみ可能…

(三) 縦からなる横的な蕩減復帰

縦からなる横的な蕩減復帰が何であるかを調べてみることにしよう。既に、アブラハムを中心とする復帰摂理のところで詳述したが、アブラハムのときは、「メシヤのための家庭的な基台」を復帰するための摂理において、第三次に該当するときであった。したがって、そのときは、必ずそのみ旨を成し遂げなければならない原理的な条件のもとにあったので、アブラハムは、アダムの家庭とノアの家庭の過ちによって加重されてきたすべての…

(二) 縦的な蕩減条件と横的な蕩減復帰

復帰摂理のみ旨を担当した中心人物は、自分が立たせられるまでの摂理路程において、自分と同じ使命を担当した人物たちが、立てようとしたすべての蕩減条件を、自分を中心として、一時に蕩減復帰しなければ、彼らの使命を継承し、完遂することができないのである。したがって、このような人物が、また、その使命を完遂できなかったときには、彼が立てようとした蕩減条件は、その次に彼の代理使命者として来る人物が立てなければな…

第二節 復帰基台摂理時代の代数とその年数の形成

(一) 復帰摂理はなぜ延長され  またいかに延長されるか 我々は、既に、「メシヤのための基台」をつくり、メシヤを迎えて、復帰摂理の目的を完成させようとする摂理が、アダムからノア、アブラハム、モーセに至り、イエスの時代まで延長されたこと、また、ユダヤ人たちの不信仰により、イエスもこの目的を完全に達成されずに亡くなられたので、復帰摂理は、更に、彼の再臨期まで延長されてきたという事実を論述した。それで…

第三章 摂理歴史の各時代とその年数の形成

第一節 摂理的同時性の時代 同時性とは、何であろうか。人類歴史の過程を調べてみれば、たとえその程度と範囲の差はあっても、過去のある時代に起こったこととほとんど同じ型の歴史過程が、その後の時代において反復されている、という事実が、多く発見されるのである。歴史家たちは、このような歴史的現象を見て、歴史の路程は、ある同型の螺旋上を回転しているといっているが、その原因がどこにあるかは全然知らないのである…

(二) ヤコブ路程を見本として歩いたモーセ路程とイエス路程

ヤコブ路程は、とりもなおさず、サタンを屈伏してきた路程である。そして、サタンを屈伏させる路程は、サタンが侵入したその経路を、逆にたどっていかなければならない。そこで今ここに、我々は、ヤコブ路程を見本として歩まれた、モーセ路程とイエス路程について調べてみることにしよう。 ① 人間は、元来、取って食べてはならないと言われた神のみ言を、命を懸けて守るべきであった。しかし天使長からの試練に勝つことができ…

(一) イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由

復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。 ところが、神にも屈伏しなかったサタンが、人間祖先として来られるイエスと、その信徒た…

第一節 サタン屈伏の典型的路程

イサクの家庭を中心とする復帰摂理において、「実体基台」を立てる中心人物であったヤコブが、アベルの立場を確立して、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるために、サタンを屈伏してきた全路程は、ヤコブによるその象徴路程を、形象的に歩まなければならないモーセ路程と、それを実体的に歩まなければならないイエス路程とを、あらかじめ示した典型路程であった。そして、この路程は、イスラエル民族と全人類が、摂理の目的…

第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理

アモス書三章7節に、「主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と記録されているみ言のように、聖書には、神の救いの摂理に関する数多くの秘密が隠されているのである。しかし、人間は神の摂理に対する原理を知らなかったので、聖書を見ても、その隠れた意味を悟ることができなかった。聖書においては、一人の預言者の生涯に関する記録を取ってみても、その内実は、単純にその人…

(四) アダムの家庭が見せてくれた教訓

アダムの家庭を中心とする復帰摂理の失敗は、結果的に見て、まず第一に、み旨成就に対する神の予定と人間の責任分担に対して、神がどのような態度をとられるかを見せてくれた。元来、み旨成就に対する神の予定は、必ず、神の責任分担と人間の責任分担とが合わさり一つになって初めて完成できるようになっている。それゆえに、カインがアベルを通して献祭するということは、彼らの責任分担に当たるものであって、神は彼らに、どの…

(三) アダムの家庭におけるメシヤのための基台とその喪失

「メシヤのための基台」は、「信仰基台」を蕩減復帰した基台の上で、「実体基台」を立てることによってつくられる。そして、献祭という観点から見れば、「信仰基台」は、「象徴献祭」を神のみ意にかなうようにささげることによって復帰され、「実体基台」は「実体献祭」を神のみ意にかなうようにささげることによってつくられるとも見ることができる。それでは、「象徴献祭」および「実体献祭」の意義とその目的は果たして何であ…

(二) 実 体 基 台

アダムの家庭において「実体基台」がつくられるためには、カインが「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることにより、神がその献祭を喜んで受け得るような条件を立てるべきだったのである。では、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」は、どのようにして立てるべきであったろうか。人間始祖は、天使長によって堕落し、それから堕落性を継承するようになったので、堕落人間がその堕落性を脱ぐためには、蕩減復帰原理により、次に記録…

(一) 信 仰 基 台

第一に、「信仰基台」を復帰するためには、それを蕩減復帰するための何らかの条件物がなければならない。もともと、アダムは「信仰基台」を立てるための条件として下さった神のみ言を、その不信仰のために失ってしまったのである。それゆえ、もはやみ言を神から直接受けることができない立場にまで(価値を失い)堕落してしまったアダムであったので、その「信仰基台」を復帰するためには、彼が信仰によって、そのみ言の代わりと…

第一章 復帰基台摂理時代

第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理 堕落はたとえ人間自身の過ちから起きたものであるとしても、神がその堕落人間を救わなければならない理由については、既に前編第三章第二節(一)で論じた。ゆえに、「メシヤのための基台」を立てて、堕落人間を復帰なさろうとする摂理は、既にアダムの家庭から始まっていたのである。  既に緒論で論じたように、アダムはサタンと血縁関係を結んだので、神とも対応でき、また、サタ…

(三) 復帰摂理歴史と「私」

「私」という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない「私」なのである。それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、「私」自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすることによって、初めて「私」は復帰摂理歴史が望む結…

⑥ 摂理的同時性から見た時代区分

(イ) アダムからアブラハムまでの二〇〇〇年期間は、「メシヤのための基台」を復帰する蕩減条件を、象徴的に立ててきた時代であったので、この時代を「象徴的同時性の時代」という。 (ロ) アブラハムからイエスまでの二〇〇〇年期間は、「メシヤのための基台」を復帰する蕩減条件を、形象的に立ててきた時代であったので、この時代を「形象的同時性の時代」という。 (ハ) イエスからその再臨期までの二〇〇〇年期間は…