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(一) イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由


復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。


ところが、神にも屈伏しなかったサタンが、人間祖先として来られるイエスと、その信徒たちに屈伏する理由はさらにないのである。それゆえに、神は人間を創造された原理的な責任を負われ、ヤコブを立てることによって、彼を通して、サタンを屈伏させる象徴路程を、表示路程として見せてくださったのである。


 神は、このように、ヤコブを立てられ、サタンを屈伏させる表示路程を見せてくださったので、モーセはこの路程を見本として、その形象路程を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのである。そしてまた、イエスは、ヤコブ路程を歩いたモーセ路程を見本として、その実体路程を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのであり、今日の信徒たちもまた、その路程に従って歩み、サタンを屈伏させることによって、それを主管するようになるのである。モーセが、自分のような預言者一人を、神が立てられるであろうと言ったのは(使徒三・22)、モーセと同じ立場で、モーセ路程を見本として、世界的カナン復帰の摂理路程を歩まなければならないイエスを表示した言葉である。そして、ヨハネ福音書五章19節に、「子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである」と記録されているのは、とりもなおさず、イエスは、神が、既にモーセを立てて見せてくださった表示路程を、そのまま歩まれているということを言われたのである。ゆえにモーセは、次に来られるイエスの模擬者となるのである(使徒三・22)。