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(四) 信仰基台を復帰するための数理的な蕩減期間

我々は既に、後編緒論で、信仰を立てる中心人物が、「信仰基台」を復帰するには、彼のための数理的な蕩減期間を復帰しなければならないということを論述したが、今、この理由を調べてみることにしよう。神は数理的にも存在し給う方である。ゆえに、人間を中心とする被造世界は、無形の主体であられる神の二性性相の数理的な展開による実体対象である。被造物の平面的な原理を探求する科学の発達が、数理的な研究によってのみ可能であることも、ここに、その原因がある。このように創造された人間始祖は、数理的な成長期間を経たのちに、「信仰基台」を立てて、数理的な完成実体となるように創造されたのである。このような被造世界が、サタンの主管圏に落ちたので、これを復帰するためには、それを象徴するある条件物を立てて、サタンの侵入を受けた数を復帰する数理的な蕩減期間を立てることにより、「信仰基台」を蕩減復帰しなければならない。
それでは、元来堕落前の人間始祖は、いかなる数による「信仰基台」を立て、いかなる数理的な完成実体となるべきであったのだろうか。創造原理によれば、あらゆる存在物を通じて、四位基台を造成しないで存在できるものは一つもない。したがって、未完成期にあったアダムとエバも、四位基台造成により存在したのである。この四位基台は、その各位で各々成長期間の三段階を経て、合計十二数の数理的な成長期間を完成し、十二対象目的をつくるようになるのである。したがって、アダムが、「信仰基台」を立てるべきであった成長期間は、すなわち、十二数完成期間である。それゆえに、第一には、未完成期にあった人間始祖は、十二数による「信仰基台」を立てて、十二対象目的を完成することによって、十二数完成実体とならなければならなかったのである。しかし、彼らが堕落することによってこれがサタンの侵入を受けたから、復帰摂理歴史路程において、これを蕩減復帰する中心人物は、十二数を復帰する蕩減期間を立てて、「信仰基台」を蕩減復帰しなければ、十二数完成実体の復帰のための「実体基台」を造成することができないのである。例を挙げれば、ノアが箱舟をつくる期間一二〇年、モーセを中心とするカナン復帰摂理期間一二〇年、アブラハムが召命されたのち、ヤコブがエサウから、長子の嗣業を復帰できる蕩減条件を立てるまでの一二〇年、また、この期間を蕩減復帰するための、旧約時代における統一王国時代一二〇年と、新約時代におけるキリスト王国時代一二〇年などは、みな、この十二数を復帰するための蕩減期間であったのである。
また、堕落前の未完成期のアダムとエバは、成長期間の三段階を経て、第四段階である神の直接主管圏内に入って、初めて四位基台を完成するようになっていた。したがって、彼らが「信仰基台」を立てる成長期間は、四数完成期間にもなる。それゆえに、第二には、未完成期にあった人間始祖は、四数による「信仰基台」を立てて、四位基台を完成し、四数完成実体にならなければならなかったのである。しかし、彼らが堕落によって、サタンの侵入を受けたので、復帰摂理歴史路程において、これを蕩減復帰する中心人物は、四数を復帰する蕩減期間を立ててから、「信仰基台」を蕩減復帰しなければ、四数完成実体の復帰のための「実体基台」をつくることができなくなっている。
既に、後編第一章第二節(一)(2)で詳しく述べたように、ノアの箱舟を中心とする審判四十日をはじめ、モーセの断食四十日、カナンの偵察期間四十日、イエスの断食四十日、復活四十日などは、みな、この「信仰基台」を復帰するための四数復帰の蕩減期間であったのである。
そしてまた、成長期間は、二十一数完成期間にもなる。ゆえに、第三には、未完成期にあった人間始祖は、二十一数による「信仰基台」を立て、創造目的を完成し、二十一数完成実体とならなければならないのである。しかし、彼らが堕落することにより、これまた、サタンの侵入を受けたから、復帰摂理歴史路程において、これを蕩減復帰する中心人物は、二十一数を復帰する蕩減期間を立てて、「信仰基台」を蕩減復帰しなければ、二十一数完成実体の復帰のための「実体基台」を造成することができなくなっている。
では、どうして成長期間が二十一数完成期間になるのかを調べてみることにしよう。二十一数の意義を知るには、まず、三数と四数と七数に対する原理的な意義を知らなければならない。二性性相の中和的主体であられる神は三数的存在である。そして、被造物の完成はすなわち、神と一体となり四位基台を造成することを意味するので、人間の個体が完成されるためには、神を中心として心と体とが三位一体となり、四位基台を造成しなければならない。夫婦として完成されるためには、神を中心として、男性と女性が三位一体となり、四位基台を造成しなければならない。また、被造世界が完成されるためには、神を中心として、人間と万物世界が三位一体となり、四位基台をつくらなければならないのである。被造物はこのように、神を中心として一体となり、四位基台を造成するためには、成長期の三期間を経て、三対象目的を完成しなければならない。このような理由で、三数を天の数、または、完成数と称する。
以上のように、ある主体と対象とが、神を中心として合性一体化し、三位一体をつくるとき、その個性体は四位基台をつくり、東西南北の四方性を備えた被造物としての位置を決定するようになる。このような意味から、四数を地の数と称するのである。
このように、被造物が三段階の成長過程を経て四位基台をつくり、時間性と空間性をもつ存在として完成されれば、天の数と地の数とを合わせた七数完成の実体になる。天地創造の全期間が、七日になっている原因もここにあったのである。そして、創造の全期間を、一つの期間として見るときには、七数完成期間となるので、いかなるものでも、完成される一つの期間を七数完成期間として見ることができる。それゆえに、成長期間を形成する三つの期間を、各々、蘇生段階が完成される一つの期間、長成段階が完成される一つの期間、完成段階が完成される一つの期間として見れば、これらの期間もやはり、各々七数完成期間になるので、全成長期間は、合わせて二十一数の完成期間であるということが分かるのである。
「信仰基台」のための中心人物たちが立てた、二十一数蕩減期間の例を挙げれば、ノアの洪水期間に、神が三段階の摂理を予示なさるために、ノアをして三回にわたって鳩を外に放たしめたが、その期間を、各々、七日間にされたので、み旨から見たその全期間は、二十一日となったのである(創七・4、創八・10、創八・12)。また、ヤコブが家庭的カナン復帰路程を立てるために、ハランへ行ってから、再び、カナンに帰ってくる摂理の期間を立てるときにも、これまた、七年ずつ三次にわたって、二十一年を要したのである。なお、ヤコブのこの二十一年を蕩減復帰する期間として、旧約時代には、イスラエル民族のバビロン捕虜および帰還の期間二一〇年があり、新約時代には、法王捕虜および帰還の期間二一〇年があったのである。
成長期間は、これまた、四十数完成期間でもある。ゆえに、第四には、堕落前の未完成期にあった人間始祖は、四十数による「信仰基台」を立てて、創造目的を完成することにより、四十数完成実体とならなければならなかったのである。しかし、彼らの堕落により、これにサタンの侵入を受けたので、復帰摂理歴史路程において、これを蕩減復帰する中心人物は、四十数を復帰する蕩減期間を立てて、「信仰基台」を蕩減復帰しなければ四十数完成実体の復帰のための「実体基台」を造成することができなくなっている。
それでは、いかにして成長期間が四十数完成期間となるかを調べてみることにしよう。これを知るためには、まず、十数に対する意義を知らなければならない。成長期間三段階の各期間が、再び、各々三段階に区分されれば、九段階になる。九数の原理的根拠はここにある。ところが、神の無形の二性性相の数理的展開により、その実体対象に分立された被造物は、成長期間の九段階を経て、第十段階である神の直接主管圏に入り、神と一体となるとき、初めて創造目的を完成するようになる。それゆえに、我々は、十数を帰一数と称する。神が、アダム以後十代目にノアを選ばれたのは、アダムを中心として成し遂げようとされたみ旨を、ノアを中心として復帰させ、神の側へ再帰一させるための十数復帰の蕩減期間を立てさせるためであったのである。
そのため、アダムとエバを中心とする四位基台は、その各位が、各々成長期間の十段階を経て、合計四十数の数理的な成長期間を完成することによって、四十数完成実体基台となるのである。ゆえに成長期間は四十数完成期間ともなるのである。
復帰摂理の歴史路程において、この基台を復帰するために立てられた四十数蕩減期間の例を挙げれば、ノアのとき、箱舟がアララテの山にとどまったのち、鳩を放つまでの四十日期間、モーセのパロ宮中四十年、ミデヤン荒野四十年、民族的カナン復帰の荒野四十年などがそれである。
このように、我々は、蕩減復帰摂理路程における四十数は、二つの性格をもっていることが分かるようになる。一つは、堕落人間が四数を蕩減復帰するとき、これに帰一数である十数が、乗ぜられてできた四十数であり、また一つは、既に述べたように、堕落前のアダムが立てるべきであった成長期間の四十数を、蕩減復帰するためのものである。ゆえに、民族的カナン復帰の荒野四十年は、モーセのパロ宮中四十年と、ミデヤン荒野四十年を蕩減復帰する期間であると同時に、偵察四十日を、したがって、モーセの断食四十日を蕩減復帰する期間でもある。ゆえに、この四十年期間は、既に論じたように、互いに性格を異にする二つの四十数を、同時に蕩減復帰するものなのである。これは、復帰摂理路程において、「信仰基台」を立てる中心人物が、縦的な蕩減条件を、みな同時に横的に蕩減復帰するときに起こる現象である。そして、この四十数を蕩減復帰する摂理が延長されるときには、それが十段階原則による蕩減期間を通過しなければならないので、四十数は十倍数による倍加原則に従って、四〇〇数、または、四〇〇〇数に延長されるのである。この原則に相当する例を挙げれば、ノアからアブラハムまでの四〇〇年、エジプト苦役四〇〇年、アダムからイエスまでの四〇〇〇年などがそれである。
我々は、上述のことから、復帰摂理の中心人物が「信仰基台」を復帰するためには、いかなる数理的な蕩減期間を立てなければならないかを総合してみることにしよう。元来、人間始祖が堕落しないで、十二数、四数、二十一数、四十数などによる「信仰基台」を立てて、創造目的を完成し、このような数の完成実体にならなければならなかったのである。しかし、彼らの堕落によりこれらすべてのものが、サタンの侵入を受けたので、復帰摂理歴史路程において、これらを蕩減復帰する中心人物は、十二数、四数、二十一数、四十数などを復帰する数理的な蕩減期間を立てなければ、「信仰基台」を復帰して、このような数の完成実体復帰のために必要な「実体基台」は造成することができなくなっているのである。