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② 霊人体の構成とその機能

霊人体は人間の肉身の主体として創造されたもので、霊感だけで感得され、神と直接通ずることができ、天使や無形世界を主管できる無形実体としての実存体である。霊人体はその肉身と同一の様相であり、肉身を脱いだのちには無形世界(霊界)に行って永遠に生存する。人間が永存することを念願するのは、それ自体の内に、このような永存性をもつ霊人体があるからである。
この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。そして生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。また霊人体は肉身から生力要素を受ける反面、逆に肉身に与える要素もあり、我々はこれを、生霊要素という。人間が神霊に接することによって、無限の喜びと新しい力を得て、持病が治っていくなど、その肉身に多くの変化を起こすようになるが、これは、その肉身が霊人体から生霊要素を受けるからである。霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する。それゆえに、霊人体と肉身との関係は、ちょうど実と木との関係と同じである。生心の要求のままに肉心が呼応し、生心が指向する目的に従って、肉身が動くようになれば、肉身は霊人体から生霊要素を受けて善化され、それに従って、肉身は良い生力要素を霊人体に与えることができて、霊人体は善のための正常的な成長をするようになるのである。
生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である。それゆえに、人間が真理で生心が要求するものを悟り、そのとおりに実践することによって、人間の責任分担を完遂すれば、初めて生霊要素と生力要素とがお互いに善の目的のための授受作用をするようになる。ところで、生霊要素と生力要素とは各々性相的なものと形状的なものとの関係をもっている。ゆえに、悪人においても、その本心が善を指向しているのは、その生霊要素が常に作用しているからである。けれども、人間が善なる生活をしない限り、その要素も肉身の善化のための役割をすることができないので、生力要素との間に正しい授受作用をすることもできなくなるのである。このように、霊人体はどこまでも、地上の肉身生活においてのみ完成できるのである。霊人体は肉身を土台として、生心を中心として、創造原理による秩序的三期間を通じて成長し、完成するようになっているが、蘇生期の霊人体を霊形体といい、長成期の霊人体を生命体、完成期の霊人体を生霊体という。
神を中心として、霊人体と肉身が完全な授受作用をして合性一体化することにより、四位基台を完成すれば、その霊人体は生霊体になるが、このような霊人体は無形世界のすべての事実をそのまま感ずることができる。このように、霊人体に感じられるすべての霊的な事実は、そのまま肉身に共鳴され、生理的現象として現れるので、人間はすべての霊的な事実を肉身の五官で感じて分かるようになる。生霊体を完成した人間が地上天国を実現して生活したのち、肉身を脱いで霊人として行って生活する所が、すなわち天上天国である。それゆえに、地上天国が先に実現したのち、初めて天上天国も実現できるのである。
霊人体のすべての感性も肉身生活の中で、肉身との相対的な関係によって育成されるので、人間は地上で完成され、神の愛を完全に体恤して初めて、肉身を脱いだのちのその霊人体も神の愛を完全に体恤することができるようになるのである。このように、霊人体のすべての素性は肉身のある間に形成されるので、堕落人間においては、霊人体の悪化は肉身生活の犯罪行為に由来するもので、同じく、その霊人体の善化も、肉身生活の贖罪によってのみなされる。罪悪人間を救うために、イエスが肉身をもって地上に降臨された理由はここにあるのである。それゆえに、我々は地上で善なる生活をしなければならない。したがって、救いの摂理の第一次的な目的が地上で実現されなければならないので、イエスは天国の門の鍵を地上のペテロに授けて(マタイ一六・19)、地上でつなぐことは天でもみなつながれ、地上で解くことは、天でもみな解かれるであろうと言われたのである(マタイ一八・18)。
天国でも地獄でも、霊人体がそこに行くのは、神が定めるのではなく、霊人体自身が決定するのである。人間は元来、完成すれば、神の愛を完全に呼吸できるように創造されたので、犯罪行為によってもたらされた過ちのために、この愛を完全に呼吸することができなくなった霊人体は、完全な愛の主体である神の前に立つことが、かえって苦痛となるのである。それゆえに、このような霊人体は、神の愛とは遠い距離にある地獄を自ら選択するようになる。また、霊人体は肉身を土台にしてのみ成長できるように創造されたので、霊人体の繁殖はどこまでも肉身生活による肉身の繁殖に伴ってなされる。