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第一節 創造目的を完成した人間の価値

創造目的を完成した人間、すなわち、完成したアダムの価値を、我々は次のような観点から論じてみよう。  第一に、神と完成した人間との二性性相的な関係から述べてみることにしよう。創造原理によれば、人間は神の二性性相に似て心と体とに創造されている。そして、神と完成した人間との間にも、二性性相的な関係があるので、この関係は、人間の心と体との関係に例えることができる。無形の心に似るように、その実体対象として…

キリスト論

第七章 キ リ ス ト 論 救いを望んでいる堕落人間においては解決すべき問題が多い。その中でも重要なものは、神を中心とするイエスと聖霊との関係、イエスと聖霊と堕落人間との関係、重生と三位一体など、キリスト論に関する諸問題である。しかし、今日に至るまで、だれもこの問題に関する明確な解答を得ることができなかった。このような問題が未解決であるということによって、これまでキリスト教の教理と信仰生活に、少…

(二) 三位一体論

創造原理によれば、正分合作用により、三対象目的を達成した四位基台の基盤なくしては、神の創造目的は完成されないことになっている。したがって、その目的を達成するためには、イエスと聖霊も、神の二性性相から実体的に分立された対象として立って、お互いに授受作用をして合性一体化することにより、神を中心とする四位基台をつくらなければならない。このとき、イエスと聖霊は、神を中心として一体となるのであるが、これが…

③ イエスと聖霊による霊的重生

父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントⅠ一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるので…

② ロゴスの二性性相から見たイエスと聖霊

ロゴスという言葉はギリシャ語で、み言、あるいは理法という意味をもっている。ヨハネ福音書一章1節以下を見ると、ロゴスは神の対象で、神と授受をなすような関係の位置をとっているという意味のことが書かれている。ところで、ロゴスの主体である神が、二性性相としておられるので、その対象であるロゴスも、やはり二性性相とならざるを得ない。もし、ロゴスが二性性相になっていないならば、ロゴスで創造された被造物(ヨハネ…

(一) 重  生  論

① 重生の使命から見たイエスと聖霊  イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。 アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母とな…

第四節 重生論と三位一体論

三位一体論は、今日に至るまで、神学界で一番解決し難い問題の中の一つとして論じられてきた。そして、だれもがよく分かっているようで、実際には、その根本的な意味を知らないままに過ぎてきた問題の中の一つが、すなわち本項で扱う重生論である。

第三節 堕落人間とイエス

堕落した人間は、創造目的を完成した人間としての価値を備えていないので、自分より低級に創造された天使を仰ぎ見る程度の卑しい立場に落ちてしまった。しかし、イエスは創造目的を完成した人間としての価値をみな備えておられるので、天使をはじめ、すべての被造世界を主管する資格をもっておられたのである(コリントⅠ一五・27)。また、堕落人間には原罪があるので、サタンの侵入できる条件がそのまま残っている。しかし、…

(三) イエスは神御自身であられるのだろうか

ピリポがイエスに、神を見せてくださいと言ったとき、イエスはピリポに、「わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか」(ヨハネ一四・9、10)と答えられた。また、聖書の他のところには、「世は彼(イエス)によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた」(ヨハネ一・10)と言われたみ言があり、「…

(二) 創造目的の完成から見た人間とイエス

我々は、既に本章第一節で、完成した人間の価値がどんなものであるかを説明した。そこで、我々は、ここにおいて、完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。これまで述べたことによって分かるように、完成した人間は、創造目的から見れば、神が完全であられるように完全になって(マタイ五・48)、神のような神性をもつはずの価値的な存在である。神が永遠なるお方であるので、その…

第二節 創造目的を完成した人間とイエス

(一) 生命の木復帰から見た完成したアダムとイエス 人類歴史は、エデンの園で失った生命の木を(創三・24)、歴史の終末の世界で復帰して(黙二二・14)、地上天国をつくろうとする復帰摂理の歴史である。我々は、エデンの園の生命の木と(創二・9)、終末の世界で復帰される生命の木とが(黙二二・14)、いかなる関係をもっているかを知ることによって、完成したアダムとイエスとの関係を知ることができるのである。…

第一節 創造目的を完成した人間の価値

創造目的を完成した人間、すなわち、完成したアダムの価値を、我々は次のような観点から論じてみよう。  第一に、神と完成した人間との二性性相的な関係から述べてみることにしよう。創造原理によれば、人間は神の二性性相に似て心と体とに創造されている。そして、神と完成した人間との間にも、二性性相的な関係があるので、この関係は、人間の心と体との関係に例えることができる。無形の心に似るように、その実体対象として…

キリスト論

第七章 キ リ ス ト 論 救いを望んでいる堕落人間においては解決すべき問題が多い。その中でも重要なものは、神を中心とするイエスと聖霊との関係、イエスと聖霊と堕落人間との関係、重生と三位一体など、キリスト論に関する諸問題である。しかし、今日に至るまで、だれもこの問題に関する明確な解答を得ることができなかった。このような問題が未解決であるということによって、これまでキリスト教の教理と信仰生活に、少…

第四節 予定説の根拠となる聖句の解明

我々は、神の予定に関するいろいろの問題について解明した。しかし、次に解くべき問題は、本章の序言において挙げた聖句のように、すべてが、神の絶対的な予定だけでなされるように記録されている聖句を、いかに解明すべきかということなのである。  まず、ロマ書八章29節から30節に記録されているように、「神はあらかじめ知っておられる者たちを……あらかじめ定め……あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを…

第三節 人間に対する予定

アダムとエバが、善悪を知る果を取って食べるなと言われた神のみ言を守り、自分たちの責任分担を果たしたならば、善の人間始祖となることができたのであった。したがって、神はアダムとエバが人間始祖となることを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。ゆえに、堕落した人間も、それ自身の責任分担を果たして、初めて神が予定された人物となることができるのであるから、神は彼らがいかなる人物になるかという…

第二節 み旨成就に対する予定

創造原理によって、既に明らかにしたように、神の創造目的は、人間がその責任分担を完遂することによってのみ完成できるようになっている。したがって、この目的を再び成就させようとする復帰摂理のみ旨は、絶対的なものなので、人間は関与できないが、そのみ旨の成就に当たっては、あくまでも、人間の責任分担が加担されなければならない。それゆえに、アダムとエバを中心とする神の創造目的は、事実上、善悪の果を取って食べな…

第一節 み旨に対する予定

神のみ旨に対する予定を論ずるために、我々は、「み旨」とは何であるかということについて、先に調べてみよう。神は人間の堕落によって、創造目的を完成することができなかった。したがって、堕落した人間たちに対して摂理される神のみ旨は、あくまでも、この創造目的を復帰することにある。言い換えれば、この「み旨」は、復帰摂理の目的の完成をいうのである。 つぎに、我々は神がこのようなみ旨を予定されて、これを成就なさ…

予定論

第六章 予 定 論 古今を通じて、予定説に対する神学的論争は、信徒たちの信仰生活の実践において、少なからぬ混乱を引き起こしてきたことは事実である。それでは、どうしてこのような結果をもたらしたのかということを、我々は知らなければならない。 聖書には、人生の栄枯盛衰や、幸不幸はもちろん、堕落人間の救いの在り方から、国家の興亡盛衰に至るまで、すべてが神の予定によってなされると解釈できる聖句が多くある。…

(三) 再臨復活による非宗教人の統一

いかなる宗教も信じないで、ただ、良心的に生活して他界した霊人たちも、再臨復活の恵沢を受けるために、各々彼らに許されている時機に、みな地上に再臨するのである。そして、彼らも良心的な地上人をして、再臨主を信じ侍って、そのみ旨を完成するように協助するようになるのである。マタイ福音書二章2節以下の記録によれば、イエスの誕生のとき、占星術者(東方博士)たちが、イエスを訪ねてきて敬拝して贈り物をささげたとあ…

(二) 再臨復活による他のすべての宗教の統一

既に、終末論で論じたように、今まで同一の目的を指向してきたすべての宗教が、一つのキリスト教文化圏へ次第に吸収されつつある歴史的事実を、我々は否定することができない。それゆえに、キリスト教はキリスト教だけのための宗教ではなく、過去歴史上に現れたすべての宗教の目的までも、共に成就しなければならない最終的な使命をもって現れた宗教である。それゆえに、キリスト教の中心として来られる再臨主は、結局、仏教で再…